ナンニ・モレッティ監督作品
『ローマ法王の休日』(原題Habemus Papam)を見てきました。今年のゴールデンウィークに開催されたイタリア映画祭で1度だけ先行上映されたのですが、満席で入れず、この夏の全国ロードショーを危うく忘れるところでした。
ローマ法王が死去し、次期法王を決めるため、コンクラーヴェが開催される。枢機卿たちによる選挙で三分の二以上の票を集めた者が、次期法王に選出される。
世界中から信徒たちが集まり、マスコミも注目する中、外界との通信を一切シャットアウトされたヴァチカンのシスティーナ礼拝堂。各枢機卿たちは「どうか自分が選ばれませんように」と心の中で必死に神に祈っていた。
何度かの投票の後、選ばれたのは誰も予想しなかったメルヴィル枢機卿。
新法王の最初の仕事は、サン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに立って、広場に集まった大群衆、そして世界中のカトリック教徒に向けた法王就任演説。
ところが、登場の直前、あまりの重責に堪えかねたメルヴィルは、「自分にはできない!」と叫んでその場を逃げ出してしまう。
ヴァチカン当局は、枢機卿たちも含め、マスコミ、全世界に新法王失踪の事実を隠して奔走する。
一方、ローマの街に飛び出したメルヴィルは、自分の正体を隠したまま、セラピストの元を訪れたり、劇団員と出会ったりして、自分を見つめ直す。
やがてヴァチカンに戻ったメルヴィルが出した結論は・・・。
ハリウッド映画だったら、枢機卿同士の権力闘争、ハゲタカのように真実を追い回そうとするマスコミ(アメリカ人記者とイタリア美女キャスターとかw)、ハラハラドキドキのどんでん返しでハッピーエンド、にしちゃうんでしょう。
しかし、さすがイタリア映画。シニカルです。
緊急事態なのにヴァチカン内でバレーボール大会に興じる枢機卿たち、新法王の影武者になるスイス衛兵、ちょっと危ないチェーホフ劇団員、そしてモレッティ監督自らが演じる無神論者のセラピストなどの登場人物たちが印象的です。
そして何よりも主人公のメルヴィル。
自分が進むべき道に迷ったとき、世俗の者ならともかく、神に仕える枢機卿ともなれば、神に「道をお示しください」と祈るだろう、というのが大方の予想でしょう。
しかし、彼はそのようにはしません。あまりに大きなプレッシャーに対して取り乱したとき、「助けて、マンマ」と叫んでいるのです(笑)。
彼はローマの街でいろいろな人と出会いますが、そうかといって、自分の心を開いて話す相手に会えたわけでもありません。
また、劇中劇のチェーホフの「かもめ」の台詞は、人生で自分が夢見たことを実現できなかったフレーズばかりが出てきます。
このあたりは暗示的でちょっと難解ですが、演劇や文学が「芸術」として高い地位にあるイタリア(ヨーロッパ)ならではの演出でしょう。
ところでサン・ピエトロ大聖堂も広場も、当然実物を使ったのかと思いきや、すべてローマのチネチッタのオープンセットだったとは、びっくりです。まるで本物そのものだったので、作り物だとは全く気がつきませんでした。しかも、非常に良くできていたのに、他のドラマなどで使われたくないから、と、この映画の撮影が終わったら壊してしまったとか。
原題のHabemus Papam(「法王選出」)は新法王が決まったときの決まり文句。『ローマ法王の休日』というお気楽な邦題はちょっと喜劇性ばかりが強調されすぎの感じ。
いずれにしても、サン・ピエトロ広場やローマの街、テレビ報道、新聞の見出しなどなど、ローマがすっかり懐かしくなった映画でした。