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Inaghi、現役引退、MilanのU-16チームの監督へ

懸賞 2012年 07月 25日 懸賞

去就が注目されていたFilippo Inzaghiは、7/24にMilanのクラブ本部で記者会見を開き、現役を引退し、MilanのU-16チームの監督として2年間の契約を結んだことを発表しました。
以下、7/25付けLa Gazzetta dello SportのVincenzo D'Angelo記者による記事の翻訳です。


感動と憂愁。Pippo Inzaghiは現役生活に別れを告げたが、Milanとの決別ではなく、むしろそこから新たなプロフェッショナルとしての人生を始める。昨日7/24から2014年までの契約で、MilanのU-16チームの監督となったのだ。

「幸せだよ。昨日まで自分がやってきたことは大好きだし、新たな冒険が始まるんだ。現役選手としてのオファーをしてくれた数々のクラブチームには感謝しているけど、Milanとの絆は持ち続けるべきだと思ったし、ここから僕の人生の新たな章が始まる」

16時28分にInzaghiはTurati通りのAC Milanの本部に現れた。白いシャツにジーンズ姿、サングラスは憂いを秘めた瞳を隠していた。そしてこれまでのこととこれからのことについての思いを語った。
「かつてはMilanでチャンピオンズリーグ優勝を夢見ていた。いまはAncelottiのようにMilanの監督としてCLで優勝することが夢だ。彼は僕のモデルとなるだろう」

San Siroでの最後の試合Novara戦に思いをはせると、瞳は再び輝いた。
「もし僕がシナリオを書くのなら、まさにこんな試合になるだろうね。ファンの目の前で現役最後のゴールを決める、という。現役生活でたくさん勝ってきたから、39歳近くになってまでもう骨を折る必要はなかったね。運命は僕にたくさんのものを与えてくれた。これ以上望むことはできない。
これは冷静に頭で考えた結論なんだけど、心で決めようとしたら、60歳になってもまだ引退したくなかっただろうね」


彼の公式Facebookでは503,000人のファンが、この新たな人生を応援している。
「若い子たちに教えることが僕の性格的には合っている。弟のSimoneはLazioのU-16チームでうまくやっている。彼らとリーグ優勝をかけたプレイオフで当たれたら最高だね」

これが監督という新たな冒険での最初の目標だ。
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by ciao_firenze | 2012-07-25 15:52 | サッカー

帰国

懸賞 2012年 07月 10日 懸賞

無事帰国しました~。

とにかく「暑かった」のが第一印象(笑)。
湖、アドリア海ともにすばらしい自然、ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、オスマントルコ、オーストリアの影響を受けた情緒溢れる町並みと遺跡の数々、等々、見所いっぱいの旅でした。

後半戦は1泊ごとの移動だったため、時間的にも体力的にもオンタイムでの写真のアップはできませんでした。
落ち着いたら、それぞれのエントリーに加筆します。また、食事写真は新たにアップしますので、少々お待ちください。
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by ciao_firenze | 2012-07-10 15:49 | 旅行

サラエボで値切り、ミュンヘンで名画鑑賞

懸賞 2012年 07月 09日 懸賞

7/8(月)の第10日は、まずは簡単な市内観光。
ホテルの周りをくるりと小一時間回っただけですが、イスタンブールのグランバザールのミニ版あり、キャラバン・サライ(隊商宿)あり、モスクあり、というまるでトルコのような町並みを歩き続けると、ある場所から突然周囲はハプスブルグ支配下の建物に。300mでイスタンブールからウィーンまで飛んできたようで、まさに東西の接点ということを実感。

ツアーのお仲間に、イスタンブールのグランバザールのトルコ商人に「あなたは値切りがうまい」とお墨付きをもらったというおじさまがいたので、値切り指南をしていただき、銀細工のペンダントトップを言い値の35%以上引きでゲット。
コツは値段交渉をして向こうの言い値に従わず、一旦「じゃあいらないから帰る」と店を出ることだそうです。そうすると必ず「ウェイト」と呼び止めるとのこと。実際にその通りになったのでびっくり。2段階で交渉するのがポイントとのこと。

午後早い便でミュンヘンへ。
あまり時間がなかったけど、当初の予定通りアルテ・ピナコテークに直行。同じ志のツアーのお仲間のおじさまおばさまたちと名画を堪能し、その後迷いながらも中心部のマリエン・プラッツへお散歩。時計塔を見て、地下鉄でホテルへ無事帰還。

明日はついに帰国です。朝が早いので、写真等詳細はまた帰国後に。
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by ciao_firenze | 2012-07-09 07:01 | 旅行

ボスニア・ヘルツェゴビナへ

懸賞 2012年 07月 08日 懸賞

第9日は7/7(土)ドブロヴニクからボスニア・ヘルツェゴビナに入り、世界遺産のモスタールを見てからサラエボへ。
モスタールは気温40℃!しかし、普通の欧州の民家の間からそびえ立っているのは、教会の塔ではなく、モスクのミナレット。首都サラエボのホテルで行き当たった結婚式の音楽やダンスはまるでイスラム。
ジプシーの子供もいるし、まだ内戦の傷跡が生々しい。町の中にはふっるーい路面電車が走り、大通りの両側にはユーゴ時代に建てられたボロボロの高層マンション。クロアチアとの貧富の格差も実感します。

本日もあまりの暑さと長距離移動で疲労が溜まっているので、詳細は帰国後に。
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by ciao_firenze | 2012-07-08 03:00 | 旅行

ドブロヴニク

懸賞 2012年 07月 07日 懸賞

第8日の7/6(金)はドブロヴニクを満喫。
ホテルはVIPが泊まる超高級ホテル(の新館w)。
8時半に城壁内の旧市街に入り、市内の見所を回ってから、船でアドリア海ミニクルーズへ。昼食後はロープウェーでスルジ山に登って町を一望。
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下りてきてからは市壁を半周。買い物をしてから旧市街の旧港を望むビーチで一泳ぎ。そのあとホテル前のプライベートビーチでも泳いでから、夕食後も旧市街の散策。
暑さもものともせずたっぷり遊び回った1日でした。またまた相当疲れたので、詳細は帰国後に。
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by ciao_firenze | 2012-07-07 06:37 | 旅行

世界遺産スプリット

懸賞 2012年 07月 06日 懸賞

第7日7/5(木)はディオクレティアヌス帝の宮殿跡がそのまま旧市街になっているスプリットを観光。

ディオクレティアヌスは3世紀末に現在のスプリット近郊、当時のダルマチア地方の州都のサロナに解放奴隷の子供として生まれました。ローマ軍の中で頭角を現し、284年にローマ皇帝に。帝国を4分割統治し、303年にはキリスト教徒の大迫害を行い、多くの殉教者を出しました。
それまでローマ皇帝といえば、暗殺などにより天寿を全うすることが極めてまれでしたが、ディオクレティアヌスは自らの意志で305年に皇帝を引退、故郷のスプリットに宮殿を建て、311年に亡くなるまで静かに余生を過ごしました。
コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したのは、ディオクレティアヌス没後わずか2年後の313年のことです。

宮殿跡は、ローマ帝国の衰退、滅亡と共に廃墟になっていましたが、ディオクレティアヌス没後300年ほど経った頃の7世紀、スラヴ系民族の襲撃を受けたサロナの住民たちが宮殿の廃墟に逃げ込み、宮殿の壁や床、柱などの石材を利用して住み着きはじめました。これが町としてのスプリットの起源となっています。

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宮殿の地上部分は次第に建て替えられてしまいましたが、地下部分は長い年月の間に土中に埋もれていたため、当時の宮殿そのままの造りが残っています。現在は土産物店が軒を連ねています。

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宮殿の地下部分は倉庫などとして使われていたようです。全く同じ造りだった地上部分の往年の様子も想像できます。

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まごうことなきローマの煉瓦造り。ローマのネロ帝の黄金宮殿跡を思い出します。

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宮殿の中心に位置する中庭(ペリスティル)にはコリント式列柱が連なっています。
柱の奥には、かつてはディオクレティアヌスの霊廟がありましたが、大聖堂に建て替えられました。ローマ帝国で最後にキリスト教の大弾圧をした皇帝の墓が、殉教者を祀る大聖堂になってしまうとは、なんとも歴史の皮肉ですね。

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ローマ帝国を4分割し、東の正帝だったディオクレティアヌスは、トルコ、シリア、エジプトを統治していました。エジプト遠征時に持ち帰ってきたスフィンクスは、11体発見されています。

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皇帝の私邸の玄関口だった前庭部分は、音響効果がいいため、クロアチアの伝統音楽のクラッパ(男性4人によるアカペラ合唱)のグループが演奏を披露していました。 

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かつての宮殿の壁のなごり。

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今でも城壁の中には600人ほどの住民がいるそうです。

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旧市街には、ゴシック、ロマネスク、ルネッサンス、バロックなど、ありとあらゆる様式の建物がびっしり建っていて、さながら西洋建築史のモデルのよう。

このあと、クロアチアの海岸線をバスで移動、ドブロブニクを目指します。
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by ciao_firenze | 2012-07-06 03:00 | 旅行

ダルアチア地方の旅

懸賞 2012年 07月 05日 懸賞

第6日7/4(水)はアドリア海岸を南下し、まずはザダールへ。
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10世紀にダルマチア地方の中心都市として栄えたザダールは、古代イリュリア人、そして古代ローマ人によって築かれた古い歴史の町です。
紀元前1世紀から町の中心だったフォーラム付近からは遺跡が多数見つかっています。

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かつて教会だった建物。王室礼拝堂のみに使われる円形でかなり古い建物です。音響が良いので、最近はコンサートホールとして使われているそうです。

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唯一現存している古代ローマの円柱。中世時代には悪いことをした人が縛り付けられてさらし者にされたため、「恥の柱」と呼ばれています。後方はセルビア正教の聖イリヤ教会の鐘楼。

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正教会は主祭壇ではなくイコノクラシスがあるのですぐにわかります。

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聖ストシャ大聖堂。

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ザダールの町は、第4次十字軍の時に破壊されたので、その影響を受けて建設が一時中止されました。そのため、ロマネスクとゴシックの様式が混じっています。

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サン・マルコのライオンのついた「陸の門」。ヴェネツィア共和国領になってからは、ザダールはアドリア海岸の重要な中継ポイントとして栄えました。

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さらにアドリア海を南下し、シベニクへ。ここは珍しく古代ローマ起源ではなく、11世紀に中世クロアチア国王ペタル・クレシミル4世の統治下で発展しました。

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メインストリートはこれらの細い通り。

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「中世にタイムスリップしたような町」という表現はいかにも陳腐だと思っていたけど、まさにその言葉しか思い浮かびません。

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世界遺産の聖ヤコブ大聖堂。

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こんなに美しい町なのに、内戦時にはこの教会も被害を受けたそうです。

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大聖堂の建築者ユライ・ダルマチナツによる洗礼堂の天井。

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外壁には建築当時の15世紀の実在の町の人たちの顔が並んでいます。

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by ciao_firenze | 2012-07-05 12:58 | 旅行

プリトヴィッツェ国立公園

懸賞 2012年 07月 04日 懸賞

第5日7/3(火)は丸1日プリトヴィッツェ国立公園の散策です。
国立公園になる前は、付近に住んでいた人々が生活用水として使ったり、釣りをしたり、泳いだりしていたそうですが、今は国立公園どころかユネスコ世界自然遺産に指定されています。
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プリトヴィッツェ国立公園は、16の湖と90以上の滝が点在する景勝地。

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石灰の大地を長い時間をかけて通ってきた水の色!

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木道の上を歩きます。

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湖と湖の間の高低差のために、無数の無名の滝が流れています。

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信じられないくらい透明度の高い水。

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どうしても水面ばかり見てしまいますが、ブナの原生林もすばらしい。

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高さ78mのプリトヴィッツェ滝。

写真ではとてもスケールの大きさが伝わりません。とにかくあくまでも透明な水の色、深い緑は実際に見てこそ、そのすばらしさがわかるものでしょう。
相変わらず猛暑のクロアチアですが、木陰の水辺を渡る風、可憐な野の花、美しい野鳥の鳴き声。

そして夕食後、ホテルの庭から散策に出てみると、数え切れないほどの蛍の群れが。幻想的に光を放ちながら飛び交う蛍の姿は、この世のものとは思えない美しさ。まさに生涯忘れられない経験となりました。
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by ciao_firenze | 2012-07-04 01:16 | 旅行

移動日

懸賞 2012年 07月 03日 懸賞

第4日7/2(月)はポレチェからイストラ半島を横断、リエカを経由してプリトヴィッツェ国立公園までの移動日。
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クロアチア第3の都市リエカは古代ローマ人がトルサットの丘に定住したのが町の起源。

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当時のローマ門がそのまま残っています。

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川崎と姉妹協定を結んでいる港湾都市。

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ハプスブルグの影響が色濃く残り、東欧の町の雰囲気です。

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町の守護聖人聖ビートを祀る聖ビート教会は円形。

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途中通過したカルロヴァッツ近郊は、クロアチアの内戦時に最前線になった場所です。のどかな田舎の集落の家の壁にも銃弾の跡が残っていたり、砲撃を受けて屋根がなくなっていたり。壊れた戦闘機や高射砲、戦車などを残し、当時を忘れないための公園がありました。

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水車小屋やカフェのあるおとぎ話のようなかわいいラシュトケ村も見学しました。

プリトヴィッツェ国立公園内のホテルに到着。軽井沢のような避暑地らしく、部屋に冷房設備がありません。この猛暑の中、蒸し風呂のような部屋に2泊することに(>_<)
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by ciao_firenze | 2012-07-03 06:07 | 旅行

イストラ半島の町めぐり

懸賞 2012年 07月 02日 懸賞

第3日の7/1(日)はイストラ半島の町巡り。
交通の要所にあるイストラ半島は、古代ローマ帝国、ビザンチン帝国、ヴェネツィア共和国、神聖ローマ帝国と、長い間大国の支配を受けてきたところです。

ポレチェからバスで1時間、ロヴィニ(イタリア語名はロヴィーニョ)を目指します。
ところで人類の歴史以前、信じられないことにこの海辺付近まで氷河が来ていたということです。氷河期終了と共に氷が溶け、なんとフィヨルドができたのです。
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リム・フィヨルドは海岸線から12kmも内陸部に入り込んでいます。

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ロヴィニはかつては島だった町ですが、今は地続きです。

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明るい色の建物が連なり、さながら運河のないヴェネツィアのよう。

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町の一番高いところにある聖エウフェミア教会は、ディオクレティアヌス帝の大迫害で殉教した聖女エウフェミアを祀っています。
今日は日曜日なので、この聖女像の後ろにあるエウフェミアの棺が特別に開いていました。また、教会ではミサの後、たくさんの赤ちゃんの洗礼式が行われていました。

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透明度の高いアドリア海はまさにバカンスシーズン。

この後ポレチェに戻り、世界遺産のエウフラシウス聖堂へ。
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色モザイクで装飾された聖堂。

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キリスト教が公認される前には、個人邸宅にこっそりと人々が集まり、ミサを行っていました。その場所の目印だった魚の床モザイク。
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金色に輝く荘厳な祭壇。
ビザンチン帝国に支配されていた時代、5、6世紀のモザイクは、その技巧から、ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会のモザイクと同じ職人(群)が作ったものとされています。実際にラヴェンナで見た数々の教会のモザイク壁画と酷似しています。

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右側廊に残っているモザイクの一部。

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こちらは左側廊の残存モザイク。
今は主祭壇周りだけにしか残っていないモザイクですが、ラヴェンナの教会のように、聖堂内部がたくさんのモザイクに飾られていたはずです。

それにしても暑い!北アフリカの砂漠を越えてきた熱風シロッコが吹いているようですが、本当に想像外の尋常ならざる暑さとしか言えません。ばてないように気をつけなきゃ。
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by ciao_firenze | 2012-07-02 03:00 | 旅行