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広島・萩の旅・その3(萩)

懸賞 2011年 11月 17日 懸賞

10/29(土)、岩国あたりから降り始めた雨は、中国山地を越えて萩に着いた頃には本降りになってしまいました。
中学生の時に「幕末研究会」を作って文化祭で発表した過去のある私にとっては、「聖地」とも言える萩。ン十年越しの夢がかなったこの旅では、何を置いても幕末一の思想家、吉田松陰宅を訪れなければ話は始まりません。
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これが松下村塾です。海外への密航を企てた罪で、幽閉されていた実家の離れとはいえ、あまりの小ささにびっくり。

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八畳と十畳半のたった2部屋のこの小屋から、幕末維新の日本を動かした若者たちが何人も輩出されたのかと思うと、ただただおどろくばかりです。

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松陰の実家杉百合之助宅。母屋自体はかなり大きいですが、松陰が幽閉されていた部屋は三畳半で、あまりの狭さにこれまたびっくり。

松下村塾と松陰の実家は松陰神社の敷地内にあります。神社のおみくじには「松陰先生のお言葉」が記されているほど、学問の神様として慕われています。没後150年経った今でも、松陰先生は、地元の人々にとって身近な偉い人として、心の中に生きているようです。

このあと、松陰神社そばの旧松本村(当初の表記は「松下村」)周辺を周りました。叔父の玉木文之進宅、伊藤博文宅などを見ました。雨が激しくなってきたのと、夕暮れが迫ってきたので、残念ながら松陰の墓や、毛利家墓所のある東光寺には行けませんでしたが、池田屋事件で新撰組に殺された、弟子の吉田稔麿の実家跡などは、神社敷地内を出て角を曲がってすぐでした。江戸末期には農民と下級武士が住んでいた地域で、お城からはかなり離れていますが、まさに「維新揺籃の地」でした。

松本川を渡って萩市の中心部に入り、城下町を過ぎてお城に近い堀内地区を進むと、道の両側は石垣の上に白壁が延々と続きます。立派な武家屋敷の門も残っており、雨の降る薄暮の中、突然門から侍が出てきても全くおかしくないような、まさに江戸時代のままの風情を感じられる通りでした。

宿泊先は萩城三の丸の家老毛利家屋敷跡の北門屋敷
看板も何も出ていなくて、すごい武家屋敷の門がある、と思ったらそこでした。そして中に入って、意外な洋風の造りにまたびっくり。すでに日は暮れていて外がよく見えなかったのですが、お風呂に入ってから、太い梁が印象的な洋風の広間で夕食です。



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食前酒:萩特産の夏みかんのお酒、先附:桃豆腐、前菜は小鯛寿司、むかご真蒸、貝の金山寺、海月菊とんぶりジュレがけ、鞠栗、向付:萩の旬の地魚四種盛り、温物:黒毛和牛しゃぶしゃぶ、炭うどん、しゃぶ餅、白葱、えのき、焼き豆腐、焚き合わせ:穴子東寺巻、絹さや、小芋、紅葉麩、小茄子、お椀:清汁仕立 鱧、松茸、三つ葉、結び湯葉、柚子
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酢物:ふく刺し

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蒸物:甘鯛蓮根蒸し

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焼物:旬の魚介の自家製味噌朴葉焼き カナトフク、ホタテ、イカ、ズッキーニ、パプリカ、湿地

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水菓子

いはやは、贅沢な食材をたっぷり使い、味付けも出汁がしっかりきいていながらも決して濃すぎず薄すぎず、豪華なお料理でした。年配のお客さんには多すぎるぐらい。母も最後の朴葉焼きはギブアップでした。
ランチョンマットには嘉永5年(1852年)に作成された萩城下町絵図が使われています。当時から町割りはほとんど変わっていないそうで、旧毛利家の広大な敷地をそのまま旅館として使っていることがよくわかりました。

by ciao_firenze | 2011-11-17 14:12 | 旅行

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