IE9ピン留め

美食編・その3

パドヴァでの昼食は、現地在住の友人のお薦めのお店Osteria L'Anfora(Via dei Soncin 13)に行きました。
ここは立ち飲み居酒屋で、ヴェネツィアのバーカロみたいなものでしょうか?(実際にヴェネツィアのバーカロには行ったことがありませんが)ワインをグラス1杯(3ユーロ以下!)から注文できるなかなかいい雰囲気のお店です。大きめのテーブルは相席です。

Bicoli con Anitra alla Vicenzina この地方特有のbicoliという太めの短いパスタを鴨の肉で和えたヴィツェンツァ風の一品。お店お薦めの赤のハウスワインも頼みました。

豆のスープの中にパスタが入ったPasta e Fagioli。以前両親がこの地方を旅行した時に食べたことがあるようですが、父は「パスタ入りの塩味の汁粉だ」という感想を述べたそうですが、確かに言い得て妙です。

ボローニャでの夕食はもう一軒、La Taverna di Roberto(Via San Vitale 9)は、ボローニャ大学にも近く、斜塔から放射状に伸びる道のうちの1本San Vitale通り沿いの雰囲気のいいお店。

緑のラザニアのLasagne verde alla Bolognese。パルミジャーノもたっぷりかかっています。

鴨の胸肉のオレンジソースPetto d'Anatra all'arancia。フレンチでもイタリアンでも、鴨肉にはネギならぬ、オレンジがセット。

プリモとセコンドを1品ずつにしたので、ドルチェに突入。マスカルポーネはエスプレッソに合います。

Torta di Riso。「お米のケーキ?」と興味津々でしたが、お米を使ったプリンのようなお菓子でおいしかったです。di Mamma di Robertoって言っていたので、お店のオーナー?ロベルトのマンマの特製レシピなんでしょうね。
# by ciao_firenze | 2011-12-21 22:51 | 旅行 | Comments(2)

美食編・その2

そこはかとなくおフランスの香りが漂う小じゃれた町パルマも美食の町。お昼は店頭に生ハムが固まりでつるされているLa Table(Via Mistrali N.3/B)でいただきました。

Risotto agli Asparaghiアスパラのリゾット。本場のパルミジャーノをたっぷりとかけて。

Tortelli di Zuccaカボチャのトルテッリ。ほんのり甘いカボチャがパスタの中に入っています。こちらもパルミジャーノたっぷり。

Spezzatino con Patate子牛肉をぶつ切りにした煮込みのじゃがいも添え。肉がトロトロにコンビーフ状になったコクのある味付けでした。

チーズもたっぷりのコクのあるお昼だったので、当然のように夜は軽めに。ボローニャの宿泊ホテルの近くのTrattoria-Pizzeria La Mela(Via de' Fusari 5)で、気楽にピッツァを食べました。

Zuppa di Verduraホッとするシンプルな味付けの野菜スープ。これでも半人前です。

この旅唯一のピッツァは生ハム、アスパラ、アーティチョークのQuattro Stagione。半分でこの大きさ。

食事を軽めにしたら、ドルチェの出番。レモンのケーキはスポンジがお酒漬け。ベリー添えチョコレートケーキは濃厚な味で、エスプレッソがよく合いました。
# by ciao_firenze | 2011-12-03 23:06 | 旅行 | Comments(0)

美食編・その1

エミリア・ロマーニャ地方のボローニャは美食の町。生ハムやモルタデッラ、サラミなどのハム類や平打ち麺のタリアテッレ、肉の詰まったトルテッリーニなどのこの地方特有のパスタ、そして肉料理中心のメイン、どれも美味でした。

ボローニャのTrattoria La Braseria(Via Testoni, 2)には2回行きました。プリモを2品取ってドルチェ抜きにしても、プリモとセコンドを半分ずつにしてワインを取ってドルチェまで入れても、どちらも2人で70エウロ以内でした。
アンティパストはハム類の盛り合わせ(生ハム、モルタデッラ、コパ、サラミ)。コパはこの地方特有のハムで、ちょっと焼き豚のような感じ。

Crescentiniは、ピザ生地を揚げたもので、もちもち感があります。これに上のハム類を挟んで食べると、ほんのりあったかくて美味。

Tortellini bolognese in brodo di carne。コンソメスープの中にトルテッリーニがたくさん浮かんでいます。パルミジャーノチーズをたくさんかけていただきます。

Zuppa di farro in brodo di verdure con funghi di stagione。ファロという粒状のパスタが豆や野菜のスープに浮いているものですが、口当たりはちょっとプツプツしたリゾットのよう。

セコンドのGalletto alla diavola。鶏肉の丸焼きローズマリー風味。すでにプリーモで満腹でしたが、鶏肉はさっぱりしていて、なんとか食べられました。
しかし、ここまで食べた日は、ドルチェまでとても手が出ず、エスプレッソを飲んで終了でした。

別の日は、クレッシェンティーニとトルテッリーニを半分ずつにしました。
Scaloppina al tartuffo。セコンドには入荷したばかりのトリュフを使った仔牛肉のスカロッピーナ。これも2人で半分ずつにして、ドルチェに突入。

マスカルポーネ。上にチョコがかかっていて、ティラミスのスポンジがないバージョンのようで美味。

牛乳と卵がたっぷりのいわゆるプリンのようなドルチェ。卵を使っていないバージョンもあるようですが、こちらがお薦めとのことでした。

ハム類、肉類が中心で、ニンニクやトマトを使ったお料理はありません。内陸の料理という印象です。1人1皿ずつ取っていると、量が多くてドルチェまで到達できません。普段ならアンティパストを飛ばすところですが、クレッシェンティーニに挟むハム類があまりにおいしいので、プリモとセコンドを半分ずつにすれば、ドルチェまで楽しめます。
# by ciao_firenze | 2011-11-28 23:08 | 旅行 | Comments(2)

ボローニャ

無事に帰国しました。最終日は17時ボローニャ発ミュンヘン経由で帰ってきたので、半日以上時間があり、ボローニャのチェントロの町歩きを十分に楽しめました。

ボローニャの守護聖人聖ペテロニオを祀るサン・ペトロニオ教会と町の中心地マッジョーレ広場。到着時はチョコレート祭りで賑わっていましたが、その後は日に日にクリスマス向けのデコレーションが施されていきました。

サン・ペトロニオ教会のファサード(前面)を修復中なのですが、そのおかげで足場を伝って地上20mの地点まで登って町を見下ろすことができました。

マッジョーレ広場からすぐ横のペスケリエ・ヴェッキエ通り。「古い魚屋通り」という名前ですが、八百屋や果物屋がひしめいています。

色鮮やかなディスプレイの八百屋の店先。Cachi(柿)は知っていましたが、なんとFuji(富士)まで高級リンゴとして売っていました。

生ハム、モルタデッラ、サラミなど、種類豊富な肉類を売るサラミ屋もたくさんあります。

世界最古の大学ボローニャ大学。ここで学んだヨーロッパ中の名家の家紋が壁や天井にびっしり。

医学部の解剖室。天井、床、壁がすべて木でできていました。1944年にアメリカ軍の空襲に遭って大被害を被りましたが、かつての姿に復元されています。

ボローニャは、いわゆる観光の町ではありませんが、普通のイタリア人の生活が身近に感じられる上に、チェントロ地区は中世の古い建物がたくさん残っています。
また、イタリアの町では、国鉄の駅からチェントロまで遠かったり、遠くなくてもひとけのないあまり良くない雰囲気の通りを通らなければ行けないことが多いので、チェントロにホテルを取っていると、駅との往復が意外にストレスになるものです。
しかし、ボローニャに関しては、駅前からすぐに伸びているインディペンデンツィア通りがにぎやかで、しかもポルティコがあるので雨でも雪でもOK。
さらには空港も市バスでたったの6ユーロとごく近いので、実にアクセスが良いのです。行きはフランクフルト経由、帰りはミュンヘン経由で移動できました。イタリア国内の移動だと当然ミラノかローマから入ることを考えましたが、このルートが実は時間的にもとても効率的でお薦めです。
# by ciao_firenze | 2011-11-27 19:31 | 旅行 | Comments(4)

フェッラーラ

旅行5日目はフェッラーラへ。
フェッラーラといえばルネサンスの才女イザベッラ・デステの町ですが、ルネッサンスの怪僧ジローラモ・サヴォナローラの出身地でもあります。エステ城とその前に建つサヴォナローラの像。

フェッラーラ大聖堂。大聖堂美術館は近くのサン・ロマーノ教会に移動しています。

コルプス・ドミニ修道院。ひっそりとした地区にあり、外見はとても質素なクラリッセ女子修道会の教会ですが、教会内がエステ家の墓地になっています。エルコレ・デステ、アルフォンソ・デステなどの公爵家の当主の墓の他、アルフォンソの妻・ルクレツィア・ボルジアなど、エステ家の親族の墓があります。
公開時間内に教会脇の修道院の呼び鈴を押し、見学希望を伝えると、シスターが教会の扉を解錠してくれます。日本語のしおりも用意してあるのは、ひとえにルクレツィア・ボルジアの知名度と人気のおかげでしょう。
シスターと話さなければ開けてもらえないので、イタリア語ができないと見学は厳しいと思います。入場料は特に決まっていないようですが、ひっそりとした修道生活をお邪魔しながら見せていただく、という気持ちを込めて感謝の喜捨が望ましいでしょう。

エステ家の別荘パラッツォ・スキファノイアにも行きました。フランチェスコ・コッサとエルコレ・デイ・ロベルティによるフレスコ画「12ヶ月」の描かれた大サロンが必見ですが、フェッラーラのモニュメントはほとんど内部撮影禁止です。

エステ城。4つある塔のうちの1つに登ると、フェッラーラの町が一望できます。

内部は華やかな居室が続いていますが、地下にはほとんど陽の当たらない不気味な牢獄が何部屋もありました。まさに君主政治の光と闇を見ることができます。

パラッツォ・ディアマンテの外壁。内部は市立絵画館になっています。

フェッラーラのチェントロ。大聖堂付近は人が出ていましたが、その他は全体的にひっそりした町並みでした。
# by ciao_firenze | 2011-11-25 08:24 | 旅行 | Comments(0)

パドヴァ

4日目はヴェネト州のパドヴァへ。現地在住の友人に案内していただきました。

ジョットのフレスコ画の名作でびっしり覆われたスクロヴェーニ聖堂は、美術史愛好家には必須の場所です。
現在はネットで見学予約をし、予定時間の15分前から温度と湿度がコントロールされた控えの間で待ち、時間が来たら15分間で見学を終えなければ行けません。
もちろん内部は撮影禁止。限られた時間内で見るためには、十分な予習をした上で、オペラグラスを持参しての見学をお薦めします。

エレミターニ教会は数々のフレスコ画で飾られていましたが、1944年の空爆でほぼ全壊。中でも後陣のオヴェターリ礼拝堂にはマンテーニャの「聖クリストフォロスの殉教と遺体の運搬」は、かなり破壊されてしまいましたが、拾える部分は細かいかけらまで拾ってパズルのように復元されています。

チェントロのラジョーネ宮殿の前には、八百屋や香辛料の屋台が出て賑やか。

大聖堂と洗礼堂。洗礼堂内部はジョットの影響を受けたジュスト・デ・メナブォイの「神の顕現」他、キリストと聖者を描いたフレスコ画でびっしり覆われていて圧倒されました。

チェントロの旧ゲットー地区。狭い小路が続き、現在ではちょっとおしゃれな地区になっています。

ガリレオも教鞭を執っていたパドヴァ大学。英語またはイタリア語のガイドツアーで、解剖室などを見学できます。

パドヴァの守護聖人を祀るサン・タントニオ教会。聖アントニオの舌と下あごの一部は聖遺物として現在でも人々の信仰を集めています。

ドナテッロのブロンズの傑作ガッタ・メラータ騎馬像。

ヴェネツィアの支配下にあったパドヴァは、予想していたよりも大きくて見所もたくさんありました。お友達のご案内のおかげで効率よく楽しく見所を回ることができました。
# by ciao_firenze | 2011-11-24 09:26 | 旅行 | Comments(4)

パルマ、モーデナ

旅行3日目はパルマとモーデナへ。

ファルネーゼ公国の首都パルマは全体にパステル調の建物が多く、どことなくこじゃれたおフランス風。

薄いバラ色の大理石で造られたパルマの洗礼堂。


内部は予言者や使徒たちの肖像、モーセ伝、洗礼者ヨハネ伝、キリスト伝などのフレスコ画がびっしり。

この後、大聖堂で「聖母被昇天」とサン・ジョバンニ教会で「キリストの昇天」というコレッジョの2大天井画を見学しましたが、暗くて写真はまるで無理。

中世の職人たちの仕事姿の大理石のロマネスク彫像も並んでいます。

コレッジョのフレスコ画のもう1つの名作、サン・パウロ女子修道院の院長の食堂。こちらは修道院の内部なのに、キリスト教関連ではなく、異教的な題材が扱われているのが特徴的だそうです。

自由都市だったモーデナは、やがてエステ家の支配下に入りました。現在市庁舎として使われているドゥカーレ宮殿。

旧市街の町並み。ポルティコもあり、パルマとボローニャを両方足してこじんまりした感じでした。

ロンバルディア・ロマネスクのモーデナの大聖堂。内部のロマネスクの装飾に圧倒されました。
# by ciao_firenze | 2011-11-23 06:48 | 旅行 | Comments(0)

ウルビーノ

月曜日のイタリアは、全国的に国立、公立の美術館、博物館がお休みなので、長距離移動以外に有効に使うのが非常に難しい日です。
今回訪問予定の都市も、軒並み休館日は月曜日に集中。調べに調べた結果、マルケ州のウルビーノのパラッツォー・ドゥカーレ(国立マルケ絵画館)とラファエッロの生家は、13時までなら開いていることが判明しました。
ボローニャから鈍行列車で2時間、そこから直通バスで45分、片道正味3時間の移動ですが、フィレンツェからもローマからもヴェネツィアからも非常に行きにくい場所にあるため、今まで行きたくても行けませんでしたが、これはチャンスです。

7時半過ぎの鈍行列車に乗ると、長距離の通勤が当たり前の日本では考えられないくらい、ビジネスマンはいませんが、高校生や大学生とおぼしき若者で意外な混雑。フォルリで高校生が、チェゼーナでは大学生が大勢降りました。普通の通学らしき子もいましたが、大荷物の学生が多いのは、週末には実家に帰り、マンマに洗濯をしてもらったりお料理を持たせてもらったりして、また一人暮らしに戻る子が多いからでしょう。
そして、ペーザロからウルビーノ行きのプルマンにも大学生がいっぱい。ウルビーノは学生の街でもあるのです。

丘の上にある町は、急な坂が何本も通っています。頂上にウルビーノ大学があるため、お昼時にはこの小さな町中が大学生で大混雑するのが不思議な感じです。

小路は中世そのものの雰囲気。でもこれらの建物にはいまだに人が住んでいます。本来なら、町外れから周辺の絶景が見られるはずなのですが、今日はあいにくの濃霧で、何も見えませんでした。

しかし、ウルビーノはなんといっても人文主義者フェデリコ・ダ・モンテフェルトロが治めたルネサンス文化の薫り高い町です。
フェデリコの宮殿、パラッツォ・ドゥカーレが国立マルケ絵画館となっていて、この町の最大の観光ポイントです。

ところが、地図をもらいに入った市の観光インフォメーションのオフィスでは、お姉さんに「今日は月曜日だからパラッツォ・ドゥカーレはお休みです」と断言されてしまいました。昨日も間違いのないことを確認した市の観光課の開館時刻表を見せても、「やっていない」との一点張り。
ここを見るためにわざわざ3時間もかけてやってきたのに、と、がっかりしてその場にしゃがみ込みそうになるくらい落ち込みましたが、それでも諦めきれずにパラッツォの前まで行ってみると、門が開いていてチケット売り場もやっているではありませんか。
お兄さんに「入れますか?」とおそるおそる聞いてみたところ、「月曜日は13時までやってますよ」とのこと。「インフォメのお姉さんが今日は休みだ、と言い張ったんですよ」と告げ口したら、あきれかえっていました。
そういえばここはイタリア。道を聞いても1人は右、次の人は左、と言うことも珍しくありません。「そんなはずはないのでは?」とちょっとでも疑問に思ったら、自分の目で確かめてから結論を出すことが重要なのだ、という過去の経験を思い出して良かったです(笑)。

予定通りに入れたパラッツォ・ドゥカーレは、フェデリコの居室や大広間などに、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ラファエッロ、パオロ・ウッチェッロを初めとした14世紀からルネサンス、バロック、ロココまでの絵画がたくさん展示してありますが、内部は撮影禁止です。

中でも美術史家の石鍋先生の一押しは、フェデリコの書斎。ごく小さな書斎ですが、装飾としてだまし絵風に描かれた楽器や動植物、武器の絵、風景画には遠近法が使われており、寄せ木細工でできているとは思えないほど精巧な作品です。

宮殿の地下には井戸が3つあり、洗濯場や馬の洗い場、お風呂などの生活に必要な水場がまとまっていました。きらびやかな公爵の生活の中でも、日常の暮らしを垣間見ることができ、興味深いです。

ウルビーノのもう1つの大事な見所は、ラファエッロの生家。予定では13時には閉まってしまうとなっていましたが、時刻はもはや13時数分前。こちらはほとんど諦め気味で、おそるおそる入り口を入り、チケット売り場のお兄さんに「まだ見られますか?」と聞くと「もちろん!」とのこと。「13時までじゃないんですか?」と言うと「僕は14時に閉めるつもりだったんだ」という返事が。う~ん、市の予定表では13時だよ?でもこちらにとっては都合の良い「相違」だったので、こういう時には素直に従いましょう(笑)。

ラファエッロの生家は、中庭があったり、井戸があったり、部屋数も多くて、想像していたよりも大きな家でした。

内部に展示してあるのはラファエッロの名作のコピーがほとんどですが、これはラファエッロがまだ10代前半で描いたという「授乳の聖母」。その天才ぶりが伝わるごく初期の作品です。

霧にかすむパラッツォ・ドゥカーレ。その丘の頂上に位置し、2本の塔を備えた姿は、フェデリコの偉容も今に伝えています。

ボローニャとその近郊を巡る今回の旅では一番の遠出で、しかも電車とバスを乗り継ぐ、という高度な日帰り旅行でした。電車かバスのどちらかが遅れたら、接続の関係で時間的なロスがさらに増す可能性があったし、なにしろ初めてのところだったので勝手がわからなかったのですが、おかげさまで交通のトラブルに遭うことはなく、見学についても結果的には満願だったので、首尾良くいき、ホッとしました。ペーザロ/ウルビーノ間のプルマンは、1時間に1本の割合で出ており、とてもきれいなバスで快適です。
# by ciao_firenze | 2011-11-22 07:35 | 旅行 | Comments(0)

ボローニャ

19日午前に出発し、イタリアのボローニャに来ています。
イタリアは6年ぶり、今まではローマが一番多くて、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、パレルモと、観光都市ばかりにしか来ていません。今回は初めてボローニャに腰を落ち着けて、北イタリアの近隣の町を訪ねる旅です。

11月末とは思えないほど妙に暑い日本ですが、ここボローニャは夜になると霧が深くなり、気温も昼間でも7℃ぐらい、最低気温は0℃前後で、完璧な真冬です。人々もダウンを着込んでマフラーと手袋が必須です。

先月、東京国際映画祭で友人からニコロという青年を紹介してもらいました。彼はボローニャ大学の映画学部を卒業し、リグーリアでカメラマンをしているのですが、ニコロがボローニャを案内してくれました。

ボローニャのチェントロ(中心部)のマッジョーレ広場にあるボローニャ市庁舎。ちょうどチョコレート祭りが開催されていて、イタリア中の有名なチョコレート店が屋台をたくさん出していて、朝から夜まで大賑わいです。

チェントロの通りはこのように建物の1階が歩道になっているポルティコが町中にあります。雨でも雪でも人々は歩きやすいようにできています。

チェントロには中世の建物がたくさん残っています。1階部分を木組みの柱が支えているこの建物などは、13世紀よりも前なのでは、と思えるほどかなり古そうです。

このような古い建物の時代からポルティコは存在していて、いい雰囲気です。

国立絵画館。13世紀から16世紀のバロックまで、ボローニャ派を中心とし、ラファエッロ、パルミジャーノ、カラッチ、レーニなどの宗教画の宝庫です。

サント・ステファノ教会群。4世紀頃に期限を持つ非常に古い教会がいくつも固まってつながっており、まるで1つの教会のように見える非常にユニークな教会群。とても大勢のイタリア人が見学していましたが、あまりに古くて、薄暗くなってきてからはなんだかちょっと怖い感じでした。

中世には、ボローニャ市内には運河が張り巡らされ、船が行き交って商業が発展したそうです。現在はほとんどの運河が地下に埋め立てられてしまいましたが、ここは唯一、その当時の面影の残っているところとのことです。

ニコロのおかげで、私たちだけでは知ることのできなかったであろう、ボローニャの古い地区を見ることができ、お昼は大学生などの若者で大賑わいの地元のお店でボローニャの名物料理タリアテッレ・アル・ラグーを食べて満腹に。
チェントロはそれほど広くはないけれど、地元の人たちでどこもかしこも大賑わいでした。ローマやフィレンツェとは違ってあまりに観光化されすぎておらず、中世からの古い建物にも中を直していまだに人々が住んでいます。いわゆる観光客向けの土産物屋などはほとんどありません。古いものもたくさんありますが、それらがいまだに「生きている」と感じられる町です。
# by ciao_firenze | 2011-11-21 05:13 | 旅行 | Comments(0)

広島・萩の旅・その4(萩)

10/30(日)は、朝から本格的な雨。
北門屋敷の庭は、イングリッシュガーデンでした。なかなか不思議なお宿でした。

でも門を一歩出ると、石垣と白壁の続く上級武家屋敷町です。旅館の向かいにある県立萩高校は、長州藩の藩校明倫館の流れをくむ伝統ある高校だそうです。

宿のお隣の敷地は永代家老福原家の屋敷跡でした。でも現存しているのは、この立派な門だけ。広大な敷地には竹や楠の大木が生い茂り、延々と続く崩れた白壁の間からは、大きな庭石がごろごろと転がっているのが見えるだけでした。ただし、福原家書院は、指月城内に移築されています。

歩いて10分ぐらいで萩城、通称指月城跡に着きます。明治初期にお城は壊され、天守閣も石垣だけしか残っていせん。

城内に入る道は、敵の侵入を防ぐため、直線ではなく、鍵の手に曲がっています。

お城の真向かいには、長州藩主の分家である厚狭毛利家萩屋敷の長屋が残っています。萩に現存している武家屋敷の中でも最大のもので、19の座敷が一直線に並んでいます。この大きさといっても、お屋敷のいわゆる「門番小屋」だというので、現存していないお屋敷の母屋の大きさはいかばかりかと想像できます。

国の重要文化財になっている、上級武士の口羽家住宅を見学してから、ぶらぶら歩いた道はこんなところ。石垣と築地塀の奥は、広大な空き地になっていたり、分割されて現代的な家が建っていたり、とさまざまですが、景観上、塀は城下町当時のまま残されているところが多いようです。

呉服商の久保田家住宅。向いの菊屋家住宅とともに、藩御用達の豪商の豪華な暮らしぶりがよくわかります。
でも、武家屋敷も商家も、どこの家も天井が低い。150年で日本人の体型が随分変わったんだなぁ、と感じました。

桂小五郎、後の木戸孝允の旧宅。江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごし、幼少の頃からの書などが展示されいてますが、かなり小さい頃から達筆だと城下では有名だったようです。

桂小五郎宅から2本先の小路にある高杉晋作の旧宅。本当に目と鼻の先の近さです。中級の武家とはいえ、かなり小さな質素な家で驚きました。先に見た豪商と武家の暮らしぶりの違いがわかります。

中学生以来の憧れの地だった萩を訪ねるチャンスがあって良かったです。
海軍軍人だった曾祖父の両親は萩出身で、維新で上京してきたと聞いています。今では知り合いは誰もいませんが、この町のどこかに古い親戚の菩提寺があったり、遠い親戚が住んでいるのかも、と母と話しながら歩きました。

実際に150年以上前の家やお店が残っており、落ち着いた静かな町でした。松本村も、城下町も、本当に小さな地域の中に、時を同じくして幕末維新の傑物たちが生まれ育ったという、奇跡のようなことがあったんだなぁ、と不思議な気持ちになりました。
ただ、宿のお隣の永代家老の福原家のように、広大な土地があっても持ち主の子孫の人たちがどこにいるのかわからなくなっている家も多いようですし、たとえ口羽家のようにいまだに持ち主の家は代々続いていたとしても、当時のままのお屋敷を維持していくのはとても大変なことだと思います。
観光客としては、風情のある町並みを残してほしいと思うけど、実生活をするには不便で建て直してしまう家も多いようです。そうなると、市に寄贈するか、あとは古城ホテルではないけど、北門屋敷のようにどこか企業が買い取って維持していくしか方法はないのも、仕方がないことですね。

今回初めて山陽道を通って日本海に抜けましたが、やっぱり九州から中国地方あたりは、長い年月が積み重なった、日本の歴史の表舞台なんだなぁ、と感じました。「あづまくだり」と東の国が辺境の地だったのも、実感した次第です。

なにより、実家の家族と何十年ぶりかで旅行できたのも、良い思い出になりました。でも萩が雨降りだったのだけが無念。ずっと足下を気にして歩いていたため、雨に濡れた萩の、まさに萩焼の色の地面も旅の思い出になりました。
# by ciao_firenze | 2011-11-17 15:11 | 旅行 | Comments(2)
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